日本美術院 |
日本美術院は、明治31年(1898)、岡倉天心の指導理念のもとに横山大観、下村観山、菱田春草ら26人によって、開院しました。 天心の理念は、日本文化の伝統を踏まえ、文化財を保護しかつ芸術を奨励して未来につなげる道を指し示すものでした。
大正2年(1913)に天心が逝去、一周忌を期して横山大観らによって再興され 「藝術の自由研究を主とす。 教師なし先輩あり、教習なし研究あり。」
と宣言しました。 以来、近代日本画の革新を目指し、創立の精神を軸に研鑽を重ね、独自の発展を遂げました。 在野の研究団体がその芸術活動を110余年にわたって継続した、世界的にも稀有な例といえます。
先人の刻苦精励によって築かれた伝統は、近代日本画の歩みと重なりながら、今に受け継がれています。
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天心岡倉覚三(1862〜1913) (日本美術院100年史より) 明治22年東京美術学校創立に尽力し、翌年 校長に就任、日本美術の復興に努めた。 |
横山 大観(1868〜1958) 第40回展まで毎回出品 第一回文化勲章授賞・帝国芸術院会員 |
菱田春草 (1874〜1911) |
小林古径 (1883〜1957) 文化勲章 帝国芸術院会員 |
前田青邨 (1885〜1977) 文化勲章 芸術院会員 |
安田靫彦 (1884〜1978) 文化勲章 芸術院会員 |
【『再興院展・受賞作品』の記録】 |
【『春の院展・受賞作品』の記録】 |
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